遠くに行く理由

遠くへ行く理由

「アイデアは移動距離に比例する」という言葉がある。

確かにそうだと思う。

東京から大阪へ行くより、東京からニューヨークへ行ったほうがアイデアが3倍出る、という単純な話ではもちろんない。

たぶんこの言葉が言っている「距離」とは、自分が普段いる場所から、どれだけ離れたところに身を置けるか、ということなのだと思う。

いつもの街。
いつもの店。
いつもの人。
いつもの仕事。

居心地はいい。

でも、居心地がいい場所に長くいると、考えることまで居心地がよくなってくる。

だから、ときどき遠くへ行く。

知らない街を歩く。
食べたことのないものを食べる。
普段なら会わない人と話す。

それだけで、自分の中に小さなズレが生まれる。

「あれ、こっちではこれが普通なんだ」

「この人はそんなふうに考えるんだ」

「自分が当たり前だと思っていたことって、別に当たり前じゃなかったんだ」

このズレが面白い。

アイデアというのは、何もないところから突然生まれるものではなく、こういう小さな違和感が自分の中に蓄積されて、ある日どこかでつながるものなのかもしれない。

だから、移動する。

ただ、最近は「遠くへ行くこと」だけでは足りないとも思う。

どれだけ世界中を飛び回っても、有名な場所を見て、写真を撮って、予定通りの店へ行って帰ってくるだけなら、もしかすると大して何も変わらない。

大切なのは、その場所で何が起きたかだ。

誰と会ったか。

何を話したか。

予定になかった何かに、どれだけ出会えたか。

そして、そこには「余白」が必要になる。

せっかく遠くまで来たのだから、予定を詰め込まない。

少し歩いてみる。
知らない店に入ってみる。
誘われたら行ってみる。
面白そうな人がいたら話してみる。

仕事になるかどうかは、そのとき考えなくていい。

儲かるかどうかも、一度忘れていい。

むしろ、そういう計算をしていない時間に出会った人ほど、何年も付き合うことになったりする。

不思議なものだ。

今は、移動しなくても世界中の情報が手に入る。

検索すれば写真が出てくる。
動画を見れば街の雰囲気も分かる。
AIに聞けば、その国の文化や流行だって教えてくれる。

便利になればなるほど、「わざわざ行く必要」は減っていく。

だからこそ、わざわざ行くことの価値は、逆に上がっているのかもしれない。

画面には匂いがない。

湿度もない。

隣のテーブルから聞こえてくる会話もない。

偶然知り合った人と、そのまま夜中まで話すこともない。

そういう、データになりにくいものが現地には大量に落ちている。

そしてたぶん、人間の感覚を変えるのは、整理された情報より、そういうものなのだ。

移動にはお金がかかる。
時間も使う。
疲れる。

効率は決してよくない。

でも、効率だけを追いかけていると、自分がすでに知っている世界の中で、最適化を繰り返すことになる。

それでは、なかなか自分の外には出られない。

だから移動は、ある意味で未来への投資なのだと思う。

今すぐ何かを回収するためではない。

知らなかったものを自分の中に入れておくための投資だ。

何年後かに、それが仕事になるかもしれない。
アイデアになるかもしれない。
人との縁につながるかもしれない。

あるいは、何にもならないかもしれない。

それでもいい。

「遠いから行かない」

その判断をする前に、

「もし行ったら、何が起きるだろう」

と考えてみる。

そのくらいのフットワークは持っていたい。

結局、アイデアを生むのは移動した距離そのものではない。

自分の日常から、どれだけ遠くへ行けたか。

そしてそこで、

どれだけ予定外のものを、自分の中へ持ち帰れたか。

移動の価値は、きっとそこにある。

遠くへ行くというのは、
世界を見るためだけではない。

いつもの場所では見えなくなっていた自分を、
少し離れたところから見るためでもある。

だから、また遠くへ行く。


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